絶えてしまった流派(佐賀県限定)

たまたま、機会があって聞いた話なのですが、色々な要因を含んだ話だと感じた事がありまして、ブログに書かせて頂きたいと思います

佐賀県に於ける いけばなの流派で、去風流(きょふうりゅう)という流派があったそうなのですが、一時期は池坊と並ぶくらいのブイブイ言わせようだったそうです。なんでも宮様に生花を見て頂く会において、名だたる流派の家元が見事に活けた花々に嵐のような風が吹き、その風の一陣が去った後、ばらばらになぎ倒された花々の中にひとつだけ、元のように活けたままの姿で残ったのが、去風流の始まりだそうです。
発祥は京都で、そちらではまだ御子孫が継いでおられるようなのですが、佐賀県に於いては何故か世襲制を採らず、御弟子の中の最も優秀な人物を家元とする、という危うげな制度だったとの事。鍋島のトノサマに好まれた、続けようと思えば続いて行きそうな後ろ盾もあったのに、最後の家元が次代の家元に継がせようとした時期が戦時下だった為、風雅な事物が目の敵と見做されてしまいがちな風潮があり、潔く自分で絶やした…という次第だったという事でした。

子孫の方々が、残された花器等の御道具色々を、鍋島の徴古館とかいう所に寄付されたそうなのですが、その御道具の持ち主であった最後の家元は、映画館を経営していたり、常食がその時代には珍しげなパンとミルクだったり、好きな時間に起きて寝て、好きな時間に仕事をしたり…という、イエモト!という厳粛な感じとは程遠い奔放な香りが漂いますが、花器に細かい注文を付け、時には自分で金属を加工する、などこだわりは半端なものではなかったそうです。

花器の感じから見ると、ハスの葉っぱのカタチが好きだった模様…そういえば御住まいの住所も蓮池町。

話題としては、1地方のささやかな、あまり人にも知られない生花の1流派の最後の家元のお話。小さな小さな話題です。

時代の所為だったのか、そのような命運であったのか。1時期は隆盛を極めた流れが、静かに絶えてしまいました。

しかし人の営みは変わらず営々と続いて行きます。
絶えてしまった流れは、誰に、何を語るのでしょうか。

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